けれど床に落ちたのは、柔らかく乾いた音だけで。
その微かな響きでも、こんなものにでも縋り付かなければ歩いてはこれなかった弱い自分を自覚するのには十分だった。
そっとそれを手に取り、目の前で広げる。
まだ温もりの残る、柔らかい手触り。夜の暗がりを誤摩化すような、空元気で鮮やかな色。
私を守る薄い鎧。刃を当てれば容易く切り裂いてしまえそうなほど、弱く儚い。
その脆い鎧のおかげで、私は私の形を失わずに済んだ。
けれどこの先は、これを捨てて行かなくてはいけない。
体が震えるのは、素肌を撫でる凍り付いた夜の空気か、それとも鎧を脱ぎ捨てた事への怯えか。
手を伸ばして探り当ててしまったら、二度と立てなくなりそうだったから、振り払うようにそれを乱暴気味に片付けた。
震えが止まらない両手を胸元へ引き寄せ、目を閉じて深呼吸をする。
吐き出した暖かさの代わりに凍えるような空気が入り込み、体の熱を奪っていく。
けれど体温の代わりに落ち着きを手に入れたような気がして、目を開ける事が出来た。
視線の先の、桐の衣装箱。
かじかんだ手を添えて箱を開き、ゆっくりとそれに手を伸ばす。
冷たくて固い感触に、目に映るその色に、指先が戸惑うように震えた。
夜の中にあって尚沈まない、淡く舞い散る花の色。
これを選んだ事に、別に深い理由がある訳じゃない。
ただ他に思いつかなかっただけ。
弱い私はきっと縋り付いてしまうから。
だから、他の誰でもない、私として。
鎧でも飾りでも何でも無い、私をありのままに映し出すものが欲しかった。
もう一度深呼吸をして、ゆっくりと纏っていく。
冷たい生地が体温を奪っていき、体の震えはますます強くなっていく。
強張った指先を無理矢理に動かしながら、部屋に響く微かな衣擦れの音を追い続けた。
鎧を脱いだ、ありのままの私が出来上がる音。それだけを。
やがて音は止み、私は目を開ける。
姿見の前、頼りなく佇む1人の娘。
自然と口元が綻び、鏡の中の娘が弱ったように笑って見せた。
―ここに、いたんだね。
ため息混じりに呟いた。
壊れたわけじゃなかった。
ただ怯えて、隠れていたんだ。
弱い弱い、小さくて臆病な私。
その顔を撫でるように、ゆっくりと指先で鏡面をなぞる。
怯えるように震える瞳を見つめ、静かに告げる。
―行こう。
踵を返し、背筋を張ると前をしっかりと見据えた。
ここから先は、私として行かなくてはならない。
だったらせめて、前を向いていようと思った。
強くなりきる事が出来ないのなら、せめてありのままの自分で。
何一つとして見逃さないように。
指先はまだ、震えていたけれど。
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